「ユダヤ教の誕生ー「一神教」成立の謎ー」
土地を持たず、それを渇望する民のために生まれた宗教なのか、と思う。バビロン捕囚によって他国に捕らわれたユダヤ人たちが、自分たちの民族のアイデンティティを保つために生み出した、あるいは見出した宗教。
土地と結び付くことができない故に、より個人の輪郭をくっきりとさせていくことになり、それが「個人」というものの発見につながったのだろうか。
また、「苦難の僕の歌」によって、苦痛の解釈を逆転させたことが大きな転換点であったのだと思う。
この苦難の僕が誰か、その解釈を巡って多くの議論がなされてきたらしい。
確かに激しく心惹かれる詩だ。
キリストの事を表しているようにも、イスラエルそのものについて表しているようにも思える。
そして「契約」の宗教なのだとも。個人が神と契約を結ぶというイメージなのだろうか。約束ではなく契約。この契約という概念が他の宗教と大きく違うところなのではないだろうか。
少なくとも私は聖書を開いてすぐに契約という言葉が出てきたことに驚いたから、自分の中では宗教的なものと契約という概念が結び付いていなかったということになる。
なんにせよ、一読しただけですぐに理解できる内容でないことは確かで、これからも折に触れ読み返していきたい本だ。
それぞれの視線、それぞれの世界
自分が間違った認識を持ってるんじゃないだろうか…という認識を、どうやったら持つことができるのだろうか。
本心から自分が間違っていると思って生きている人はいないわけだし、心はすぐに自分を正当化したがる。
みんながそれぞれに自分の色眼鏡で世界を見ているわけだし、人間の数だけ世界はあって、分かったつもり分かり合ったつもりで生きているだけで、その「つもり」がずれている可能性をどうやって計ればいいのか。
他人の視線や審判をあてにしたところで、狂人同士のチェスを、狂人があれこれ言うということになっていないと、どうやったら分かるのか。
こうするのはどうだろう。
自分にあまり関心を持たないこと。
自分より大事な何かを持つこと、あるいは探すこと。何かに没頭すること。
そうやって意識を他に逸らしているうちに、認識がずれていたとしても、少しずつ修正されるということが起こらないだろうか。
「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ」国立西洋美術館
キュビスムとの絡みで展示されていたピカソの絵の方に、ついつい目が奪われがちではあったが、中間色の色使いが魅力的。
絵に工業的というか科学的な手法を持ち込もうとした…という理解で合っているのかな。
ギターやバイオリンなどの弦楽器と弦楽器ケース、手前にグラスやカラフェといった、同じモチーフの絵が何枚も何枚も見飽きるくらい続いて、最後唐突に画風が変わった「レア」という絵が展示されて終わっているのが印象的で、その間に何があったのか、謎めいた雰囲気を醸し出していた。
コルビュジエの建築については、住宅街で、病院で、公共の建物で、とにかくどこかで目にしたことがある…と感じるものばかりで、ということは、それだけ現代の建築物に影響を与えているということなのだと思う。デニムとリーバイスみたいな関係性なのだろうか。
有名な寝椅子や椅子も展示されていたが、これも既視感いっぱいで、座ったことさえあるんじゃないかと錯覚するくらい。
あと、今までずっと「コルビジェ」だと思っていたけれど「コルビュジエ」だったこと、さらにコルビュジエは本名ではなく、著述活動の際のペンネームだったことを初めて知った。
(本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)
「ソフィ・カルー限局性激痛」原美術館
1999年に原美術館で開催した個展の再現展、とのこと。
カウントダウンの日数のスタンプが押された写真と文章を、挿絵入りの小説を読むようにずっと目で追っていく。
三カ月の留学が認められてしまったため、カルが行き先をいちばん興味のない国、日本に決めたというのが出発点。
だから到着するのをなるべく引き延ばすために、ロシアを横断する遠回りのルートを取ったことなどが語られる。なぜわざわざ興味のない国に留学することに決めたのかは、この時点ではまだ明かされない。
見ていくうちに、パリに好きな人を残して来なければならず、それが子どもの頃からずっと好きだったずいぶん年上の男性で、やっと両思いになれて一緒に暮らし始めて一年にもなっていなかったため、諸手を挙げて留学を喜べる状況ではなかったこと、葛藤ののち、日本に行くことを決めたことなどが分かってくる。
行きたくないという気持ちを表現するには、行き先も、行きたくない場所である必要がある、という風に考えたのだろうか。
留学中に日本で撮ったであろう写真も展示されていたが、ひたすら再会する日を待って、じりじりしながら日々をやり過ごしている様子が滲み出ているようだった。
留学を終えた後、相手とニューデリーのホテルで落ち合う為にインドに向かったカルへの報せは、幸福の絶頂から奈落に突き落とすものだった。
と、ここまでが前半部分。
後半は、ニューデリーのホテルでその報せを受け取ったカルのモノローグのメモがひたすら展示される。
自分に何が起こったか、ひたすら毎日同じ内容を書き綴っているのだが、心の傷が癒えていくに従って少しずつ文章が短くなり、経緯の説明も省略されていくのが、心の動きを反映していて興味深い。
そのメモの合間に、他の人たちのエピソード(カルが自分の不幸話をする代わりに、相手の辛い体験を聞き出したもの)も展示されていて、一番気になったのは、話すほど辛い事がこれまでなかった…と言い切った人。
どういう人生だったのか、逆に興味が湧いた。
ポール・オースター詩集『消失』より
できるかぎり単純なことを言うこと。何であれ、たまたま見つけたものより前へ行かないこと。たとえば、この風景からはじめること。ごく手近にあるいろいろなものを記録しておくこと。まるで、眼前の小さな世界の中にでも自分を越える生のイメージを見つけられるかもしれないかのように。まるで、ある意味では次のようなことを完全には理解できないかのようにーー自分の生のどれを取っても他のどれかと繋がっていて、それが今度はわたしを世界全体と繋げているなどということを。しかもそれは心にぼんやりと浮かぶ途方もない世界で、知ることもできなければ、命取りにさえなるものなのだから。
去年の夏に訪れた小瀬村真美展で展示されていた、ポール・オースターの詩集『消失』の中の「白い空間」から、一番惹かれた箇所を引用した。展示されていたのは、同じ詩の別の箇所だったのだが、今の私に一番響いたのがこの部分だった。
「たまたま見つけたものより前に」、つい行きがちな私にとっての戒めとしても載せておきたい。
ブログを始めたのも、何日か経ったらすぐに忘れてしまいそうな日々の出来事や、ふと頭に浮かんだまましばらく離れない、昔読んだ本の一節や、なぜかずっと印象に残っている誰かの言葉といった些細な物事を、文字にして残しておきたいという気持ちがあったからで、そういう事をこれから少しずつ書いていきたいと思っています。