「ユダヤ教の誕生ー「一神教」成立の謎ー」
土地を持たず、それを渇望する民のために生まれた宗教なのか、と思う。バビロン捕囚によって他国に捕らわれたユダヤ人たちが、自分たちの民族のアイデンティティを保つために生み出した、あるいは見出した宗教。
土地と結び付くことができない故に、より個人の輪郭をくっきりとさせていくことになり、それが「個人」というものの発見につながったのだろうか。
また、「苦難の僕の歌」によって、苦痛の解釈を逆転させたことが大きな転換点であったのだと思う。
この苦難の僕が誰か、その解釈を巡って多くの議論がなされてきたらしい。
確かに激しく心惹かれる詩だ。
キリストの事を表しているようにも、イスラエルそのものについて表しているようにも思える。
そして「契約」の宗教なのだとも。個人が神と契約を結ぶというイメージなのだろうか。約束ではなく契約。この契約という概念が他の宗教と大きく違うところなのではないだろうか。
少なくとも私は聖書を開いてすぐに契約という言葉が出てきたことに驚いたから、自分の中では宗教的なものと契約という概念が結び付いていなかったということになる。
なんにせよ、一読しただけですぐに理解できる内容でないことは確かで、これからも折に触れ読み返していきたい本だ。