ページに落ちる翳

日々のできごと、本のこと。

それぞれの視線、それぞれの世界

自分が間違った認識を持ってるんじゃないだろうか…という認識を、どうやったら持つことができるのだろうか。

 

本心から自分が間違っていると思って生きている人はいないわけだし、心はすぐに自分を正当化したがる。

 

みんながそれぞれに自分の色眼鏡で世界を見ているわけだし、人間の数だけ世界はあって、分かったつもり分かり合ったつもりで生きているだけで、その「つもり」がずれている可能性をどうやって計ればいいのか。

 

他人の視線や審判をあてにしたところで、狂人同士のチェスを、狂人があれこれ言うということになっていないと、どうやったら分かるのか。

 

こうするのはどうだろう。

自分にあまり関心を持たないこと。

自分より大事な何かを持つこと、あるいは探すこと。何かに没頭すること。

 

そうやって意識を他に逸らしているうちに、認識がずれていたとしても、少しずつ修正されるということが起こらないだろうか。